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すみやとは、かつて群馬県太田市にあった日本の百貨店。服飾用ボタン最大手の株式会社アイリスのルーツとなった会社である。 == 概説 == 日光例幣使街道の太田宿である本町地区にすみや呉服店として創業し戦後に百貨店化、太田市における有力小売商として地域経済の中心的な存在であった。 また太田駅南口での市街地開発の為の区画整理事業を行った際も、保留地を他の本町地区の商店などとどもに取得し共同で南一番街の商店街開発を進め、1970年(昭和45年)に同商店街に地上3階地下1階の「ダイキン百貨店」を開設、相前後してすみや本体も地上5階建ての建物に改築し二館体制とした。この時も区画整理事業の流れで進出した東武ストア、東光ストア(後の東急ストア)、藤五ストアや十字屋(正確には移転大型化)が近隣に進出して以降も地域商圏をリードした。ダイキン百貨店は3階に結婚式場「アイリス会館」を設置し当時結婚の適齢期を迎えつつあった団塊世代にたいする婚礼需要や駅に近接するといった立地条件のよさから開業時から業績が好調であった。 1977年(昭和52年)に東武鉄道伊勢崎線太田駅南口駅前広場の東側から国道407号まで広がる工場跡地にユニーを核店舗に77の専門店と立体駐車場を持つショッピングセンターベルタウンが既存店の数倍の規模で開業すると、対抗するため売り場面積を核店舗であるユニー直営部とほぼ匹敵する規模の約8000平方メートルに増床、さらにはこれまで扱いのなかった食品売り場も新設し、南一番街の「ダイキン百貨店」もてこ入れに好調であった結婚式場の営業強化し採算面の向上を図るといった大々的な策が講じらた。 だが両店舗ともに直営の駐車場がほぼ皆無で、すみや本体は土日に隣接する富士重工業の計らいを受け臨時駐車場を設置するも対応できず慢性的な駐車場不足を補いきれず、苦戦が強いられ、増床オープンから2年たたずにすみや本店が休業、ダイキン百貨店もほどなくして同様に休業するに至った。このベルタウン開業はすみやダイキンの両店に限らず、十字屋をのぞく東武ストア、東急ストア、藤五ストアなどが狭小な売り場面積と駐車場不足から勝負にならずほぼ一斉に閉店に追い込まれる事態となった。 その後ダイキン百貨店の建物を利用し3階の結婚式場と残りのフロアを使い新生すみやとする計画が立ち上がったが、実現せず、すみやの建物本体を富士重工業、ダイキンは武富士にそれぞれ売却され、前者は富士重工業(株)のショールームなどに使用され現存し、後者は1990年に建物解体後駐車場となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「すみや (百貨店)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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